John R. Searle(ジョン・R.サール)のミーム説批判

はじめに:

・過去記事のコメント欄で Richard Dawkins(ドーキンス)のミーム説を下のように批判したことがある。
---
>ドーキンスとかよまれたことはありますか

ええ。ドーキンスより彼の論敵だったグールドや『眼の誕生』のアンドリュー・パーカーの方を評価しますが。ドーキンスの「ミーム」や「利己的な遺伝子」はご都合主義的な仮説的比喩だと私は捉えています。ドーキンスの主張は一見すると明解そうなですが論旨が粗雑(比喩と科学的論証の境界が曖昧)で、反証可能性も低すぎます。とはいえ、キリスト教原理主義のバカどもを叩く彼の熱意は認めますが。

(2014.10.11)
--- 途中で放置の記事が多い理由(途中:その1…ω)

・John R. Searle(ジョン・R.サール)がミーム説を批判しているのを見かけたので記録しておく。



引用:
20150811_p124.jpg

出典:
20150812_book.jpg
ジョン・R.サール、『意識の神秘 生物学的自然主義からの挑戦』、新曜社、2015年、124頁



コメント:

・John R. Searle(ジョン・R.サール)の上のミーム説批判は「手ぬるい」と私は思う。

・Richard Dawkins のミーム説は「ミスリーディング」とか「アナロジーが間違っている」というより、そもそも自然科学(生物学)の学説たりえない…と私は考える。

・その理由を簡単に比喩で説明すると、Richard Dawkins は「病原菌と穢れ」を混同している。

・病原菌は客観的対象として実在するから、生物学によって科学的な分析が可能だった。一方、民俗学や比較宗教学などで扱われている「穢れ」は客観的対象としては実在しないから(生物学はもちろんのこと)自然科学の研究対象になりえない。

・この対比において、ミーム説はその対象もプロセスも病原菌の側ではなく、「穢れ」の側に位置している。つまり、ミームは客観的実在ではなく、あくまで解釈する人間の意識の中に抽象的かつ曖昧な概念として比喩的に存在しているに過ぎない。

・Richard Dawkins は彼の専門である生物学の学説としてではなく、「生物学とは全く無関係だと明記した上で」民俗学や社会学の学説としてミーム説を提唱すべきだった。言うまでもないが、民俗学や社会学は「本物の」サイエンスではない(し、それを目指すべきでもない)。

・ついでに言えば、Richard Dawkins の「利己的な遺伝子」の説もミーム説ほどではないが、危ういほど穢れの側に接近しすぎており、自然科学の学説たりうるかどうか疑問。

・なお、上の出典の本は Daniel Dennett との往復書簡での論争(「中国語の部屋」で有名なアレ)が含まれていて、ご両人ともヒートアップしており、かなり面白い。

  ・Daniel Dennett には『解明される意識』の著書があるが、「全然、解明されていないじゃんかよw」がその読後感だった。

(2015.08.12)
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