途中で放置の記事が多い理由(途中:その1…ω)

・この Blog には(途中:その1)とか(途中:その2)あたりで放置になる記事が多い。なぜ?

・最大の理由は私がズボラなためだが、書き手の私と数少ない読み手の双方の満足度が最大になる付近で放置になっているように思う。つまり、ある種の最適状態(パレート最適)で放置になっていると。

・通常は…。

  ・普通の記事の場合、ざっとソースの一部を紹介したあたりで書き手の興というか内圧は急落する。タイトルをつけた段階で興が失せる事もある。書き手の意識の中では当該記事はあらかたカタが付いてしまったからだ。

  ・当然、ソースの後半部分や細部の紹介は放置されたまま。だが、放置によって別の新たな記事を紹介する余裕が生まれる。そして新たな記事が増える事は読み手にもメリットとなる筈。

  ・仮に一部の読み手が内容に強い関心を持ち、続きを読みたくなったら? → 問題なし。全ての記事にはソースが明記されており、その気になればいくらでもソースの文章や動画を参照できるのだから。むしろ、ヘボな訳やデタラメな紹介記事で読むより、ソースにあたる方がよっぽどマシ。


・時に…。

  ・興が乗れば、書き手はあれこれブチ込んだひとりよがりの記事を長々と書く。当然ながら、そいういう記事は読み手には興味を持たれず、ウザイだけなのでスキップされる。だから、その手の記事は途中で放置になっても読み手にはメリットこそあれ、デメリットはない。


・稀に…。

  ・ソースのない、オリジナルの記事で放置となる場合がある。だがその場合でも、書き手と読み手の双方の満足度が最大になる付近で放置になっているのは変わらない。

  ・こういったケースで放置になる場合、書き手の中では既にそのテーマについて、暫定的ながらもカタが付いた気になっている。読み手に通じるように説明するのはそれなりの労を要する。そしてその労を費やしたとしても、その結果は…

  ・たいがいの読み手 → くだくだしい説明には興味を持たない。最初の 2,3行で読むのを止める。

  ・かりに興味を持ったごく少数の読み手がいたとして → 「なーんだ、この程度の話か。ツマンネ」で終わる。オリジナル記事では書き手のレベルが露呈するから、それも当然の話。

 のどちらか。いずれにせよ、放置の方が双方のメリットとなる。

・以上で完結だが、戯れに記事のタイトル末尾も本文の趣旨に合わせてみた…w

(2014.10.03)
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No title

経済とか科学の記事の選び方はおもしろいのですが
ufoとか霊とかオカルトに傾倒されてるのはなんだかなあとおもってます
ufoも死語の世界もありませんよ
ドーキンスとかよまれたことはありますか

No title

こんばんは。

>ufoとか霊とかオカルトに傾倒されてるのはなんだかなあとおもってます

そういう意見もあるでしょうが、経済とかサイエンスはこの Blog のいわば付け足しで、メインテーマが UFO なので…w

>ドーキンスとかよまれたことはありますか

ええ。ドーキンスより彼の論敵だったグールドや『眼の誕生』のアンドリュー・パーカーの方を評価しますが。ドーキンスの「ミーム」や「利己的な遺伝子」はご都合主義的な仮説的比喩だと私は捉えています。ドーキンスの主張は一見すると明解そうなですが論旨が粗雑(比喩と科学的論証の境界が曖昧)で、反証可能性も低すぎます。とはいえ、キリスト教原理主義のバカどもを叩く彼の熱意は認めますが。

(2014.10.11)
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