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田川 建三:ユダヤ教の克服を本気で試みたのは、新約聖書の中では『ヘブライ書』だけだ。

一部引用



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出典


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田川建三、『新約聖書 訳と註 第六巻 公同書簡/ヘブライ書』、作品社、2015-03-20、53頁、817頁

コメント


・田川は、キリスト教に「ユダヤ教の克服」が可能であるかのように語っている。

・だが、私が見るところ、キリスト教に「ユダヤ教の克服」はそもそも不可能に思える。なぜなら、(神学者タイプは誤解しがちだが)ユダヤ教はキリスト教の雛形や予告編ではないゆえに。キリスト教という接ぎ木の台木(=接ぎ木を支える下部の植物)がユダヤ教。

・だから、克服するつもりで接ぎ木が自分のベースとしている台木を取り払おうとすると、台木は揺るがず接ぎ木だけが死に絶えることになる(*1)。

・つまり「ユダヤ教の克服を本気で試みたのは、新約聖書の中では『ヘブライ書』だけ」なのは、『ヘブライ書』以外の著者は、キリスト教が接ぎ木であることを直感的に自覚していたから、「ユダヤ教の克服」が深刻な結果を招くことを怖れ、話題にすることも避けていたのだろう。

脚注


・(*1) イエスは無自覚のうちに「ユダヤ教の克服」を目指してしまった。それゆえ、イエスは殺された(=イエスという接木が死に絶えた)…そういう一面もあるような気がする。

(2019-06-03)
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