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田川 建三 : お前ら、もう二度と、私たちは新約聖書をギリシャ語から訳しました、などと言うな。

はじめに


・田川が 口語訳、新共同訳、岩波訳の訳者たちに対して、「お前ら、もう二度と、私たちは新約聖書をギリシャ語から訳しました、などと言うな。」と叱りつけている。

引用


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...

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出典


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田川建三、『新約聖書 訳と註 第六巻 公同書簡/ヘブライ書』、作品社、2015-03-20、53頁、592~594頁

コメント


・訳者が原典テキストの原文を翻訳で酷く捻じ曲げることは仏典でも見かける。たとえば仏教学者の増谷文雄が原始仏典の翻訳で、パーリ語仏典のある重要な段落(「識」が死後も存続することを釈尊が語った有名な箇所)をまるごと訳文から削除し、解説文や注釈文でもその段落の内容に一切、言及しなかったという悪質な「翻訳」事例がある。

・その削除した段落は、当初の原典にはなく、後世に創作、挿入された部分だと増谷は主張していたが(その主張をすること自体はまぁ、増谷の勝手だが)、呆れたことに削除した箇所の内容には全く触れなかった。つまり、原典テキストのその段落の存在自体を無視するものだった。

・実は、その削除した段落は増谷の考える「こうあるべき仏教」とは相反する内容だった。なので増谷はその段落の内容に一切言及せず、読者にもその存在を教えたくなかったのだろう。これは訳者としても解説者しても読者に対する学者の重大な裏切り行為なのだが、増谷は傲慢なのでその自覚が皆無。ちなみに中村 元をはじめほぼ全ての著名仏教学者は当然ながらその段落をきちんと訳文にも解説にも入れている。

・増谷ほど悪質ではないが、早島 鏡正も原文(四諦を説いた仏教の最重要箇所)の翻訳文は正しいのに、その翻訳文に真っ向から矛盾する解説文を書き連ねていたことがある。これも早島の考える「こうあるべき仏教」と原文テキストが相反したために解説文で改変を企んだものだろう。早島はさすがに学者の良心があるから翻訳文の露骨な改竄には手を出さなかった点が、増谷とは異なる。

(2019-05-22)
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