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田川建三の「存在しない神」に対する恨みと未練

はじめに


・一つ前の記事に深く関連。

パウロの未練


・パウロについては 6年前の記事(下)で言及したことがある。


・こんなことは本来なら 2000年前、イエスという男が屈辱まみれで殺される直前、「わが神、わが神、なぜお見捨てになるのですか」と叫んだ時に理解すべき筈のことなのだが、パウロを筆頭とする未練がましい連中がグダグダにしたせいで…

ref: 神はどこにいるのか? (2012-08-18)


・パウロのせいでイエスの精神は骨抜きとなり、単なる綺麗事の飾り物に成り下がった。そしてパウロのグダグダを後世のキリスト教が受け継いだ。

田川の未練


・パウロもそうとう未練がましいが、田川建三のキリスト教に対する未練も凄まじい。裏切られた恋人に対する恨みつらみを何十年も言い募り続けるような凄まじい執念を彼のこれまでの著書からは感じる。

・だが、去年出版された『新約聖書 訳と註 第七巻 ヨハネの黙示録』では、キリスト教に対する未練は大きく薄れ(愛想が尽きた?)、代わって神に対する未練が前面に出てきたような気配を感じる。

・例えば、下の箇所。「神は存在しないのだ。しかし彼は、これが現実である、とのみ言い切って、すませたくはなかった。」のくだりは「存在しない神」に対する田川の恨みと、未だその神を捨て去ることができない未練の告白でもある。

・田川の理知は「神は存在しない」と告げている。だが、それとは裏腹に彼の心の情念全体が、神の存在を信じて(or 信じたがって)いる。それゆえ、彼は「存在しない神に祈る」と説教することができた。



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出典
田川 建三、『新約聖書 訳と註 第七巻 ヨハネの黙示録』、作品社、2017/8/31、791頁
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関連


  神が存在するのならば、神は私に許しを請わねばならない (2013-05-20)

(2018-08-26)
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