神経外科医の臨死体験

要旨


・神経外科医の Dr. Eben Alexander が細菌性髄膜炎で臨死体験をした。臨死体験によって彼は意識と精神、死後の世界に関する見方がすっかり変わってしまった。

・彼は臨死体験の前までは、還元論的唯物論で脳と意識の関係が完全に説明できると考えていた。そのため、脳が死ねば意識も心も消えると考えていた。

・今の彼は「本当は意識は脳とは独立に機能しているのだ」という。

・彼は神経外科医として25年間の経験があり、そのうち 15年はボストンにあるハーバード大学の医学部に勤めていた。

・彼は 2008年11月に臨死体験し、彼の理解していた人間の脳と意識について根本から考えなおすことになった。

・昏睡状態になっていた時、彼は体も、それまでの人生も、語ってきた言葉も思い出せずにいた。そして温かい感触を感じながら、愛情のある光が射してくるまで地殻をすり抜けた。

・彼はとても美しい蝶を見た。そして美しい緑の光景の上を飛んでいた。そこでは美しく、輝いているメロディが彼の前で回転していた(訳注:共感覚者のように音が視覚化されているようだ)。

・ついに、彼は我々の今いる宇宙から抜けだして、無限に存在している多元宇宙を外から眺めていた。

ソース


http://thetruthbehindthescenes.wordpress.com/2011/11/28/near-death-experience-of-a-neurosurgeon/

コメント


・臨死体験者の体験談は興味深いが、真に受けるのはかなり危険を伴う。体験談が嘘だというのではない。その逆で、嘘ではなく、正真正銘の凄まじい体験であるがゆえに、体験した当人が一番危険なのだ。

・花畑を見ただの、死んだ親戚とあったのだの、優しい光に包まれただのという線香花火級の臨死体験ならばさして危険はないが、中にはダイナマイト級のものもありうる。そのようなケースでは、体験者のちっぽけな自我の許容量を遥かに超える圧倒的な情景・世界・存在に直面し、自我のタガが壊れてしまう。本人はタガが壊れたことに気づかないばかりか、臨死体験を絶対視し、自我を肥大させてしまう。たとえば「地球村」の高木善之。彼の独善と暴走を見ればそのヤバさの一端が伺える。

・なぜ、そんなことがいえるのかと言えば、私も破壊力の大きな臨死体験をしており、そのヤバさを痛感しているからだ。私の場合も、臨死体験で幾つかの未来を見て、後にそれが現実になった。過去世と思しき情景も追体験した。無限や宇宙の始まりと終わりも垣間見た。

・だが、最もヤバイと感じたのは
 ・体験の絶対性・自明性。これこそが真実だという拭いがたい強烈な自覚
 ・究極の楽観と肯定。全てヨシという肯定
の 2つ。それゆえ、ある種のヒッカケ、欺瞞だと判断した。巧妙な欺瞞には真実が少しだけ混ぜてあるものだ。

・この 2つで連想するのは…いわゆる神秘体験におけるエンライトメント、悟りと言われる体験。この意味で大半の悟りは本人が自覚していない欺瞞で「も」あるのではないか、と思っている。もちろん禅でいう大悟だって例外ではない。

履歴


(2011-11-30) 作成
(2017-03-21) 見出しの書式を変更。
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