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メモ:明晰夢:スティーヴン・ラバージの実験と分析哲学者の戯論 (+追加)

Update


・(2018-08-10)追加。

はじめに


・1980年代に行われたスティーヴン・ラバージの決定的な実験結果から「明晰夢」が存在することが科学的事実として認められた。
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  スティーヴン・ラバージ 『明晰夢 夢見の技法』春秋社 2005年 75頁

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 スティーヴン・ラバージ 『明晰夢 夢見の技法』春秋社 2005年


・ところが、1990年代になってもそれを認めず、己の哲学的信条を拠り所に、机上の空論を書き連ねていた哲学者がいる。大森荘蔵(故人)である。

・大森荘蔵は夢、つまり睡眠中に見る夢全般(明晰夢に特定していない)について次のように書いている。

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  大森荘蔵 『時間と自我』青土社 1992年 45頁



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  大森荘蔵 『時間と自我』青土社 1992年 46頁




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  大森荘蔵 『時間と自我』青土社 1992年 52頁



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  大森荘蔵 『時間と自我』青土社 1992年 105頁




・大森荘蔵は次のように書いている(初出は 1991年8月の「現代思想」)から、スティーヴン・ラバージの実験結果を承知の上で完全に無視したようだ。


 「夢の生理現象、例えばレム睡眠の眼球運動とか脳波形、あるいは睡眠中の急激な揺さぶり起こしでの夢経験(これも夢の想起)報告等々はここでは本筋に何の影響も及ぼさない。」
  大森荘蔵 『時間と自我』青土社 1992年 106頁

  20120123_book_oomori.jpg





・夢について大森荘蔵のような戯論を主張した哲学者は他にもいる。ノーマン・マルコムの呆れるような主張をスティーヴン・ラバージが紹介している。


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  スティーヴン・ラバージ 『明晰夢 夢見の技法』春秋社 2005年 67頁


コメント


大森荘蔵はとても誠実な哲学者だった、と思う。ナマの現実より、己の構築した哲学的信念に忠誠を尽くした、という意味で。

・ウィトゲンシュタインにのめりこむような哲学者にありがちなことだが、言語の過大評価とイメージ能力の枯渇が夢に関する彼の戯論の背景にある。

・イメージ能力、つまり夢の中で見るような鮮やかなイメージを目覚めた状態で見る能力は、普通の現代人には自然に発生するものではなく、読み書きの能力と同様、長期に渡る辛抱強い訓練が必要だ。だから密教の観仏などの修行には膨大な時間を要する。


(2012.1.23) 作成

追記


(2012.3.26 追記) これに関連する記事
メモ:スティーヴン・ラバージの明晰夢実験の追試が日本でも成功していた




(以下、2018-08-10 追加分)

はじめに


・上の過去記事で、大森荘蔵をダシにして Ludwig Wittgenstein(ウィトゲンシュタイン)などの言語分析哲学を、イメージ能力の枯渇だと批判した。

・多くの知識人やインテリが Wittgenstein の言語哲学にすっかり騙されているが、言語哲学を胡散臭いと直感的に見抜いた文章を見かけたので記録しておく。

・皮肉なことだが、その文章の著者(中沢新一)は、私が「書いている内容も胡散臭いし、書き手本人も胡散臭い」といつも否定的に評価していた人物。

引用



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出典



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中沢 新一、『三万年の死の教え―三万年の死の教え―チベット『死者の書』の世界』、角川書店、1993年、28頁。


(2018-08-10)

履歴


(2012-01-23) 作成
(2012-03-26)追記
(2018-08-10) 追加

「女性の美」に関する Audrey Hepburn の言葉 (+追加)


20160518_Audrey_Hepburn.jpg

ref: https://en.wikipedia.org/wiki/Audrey_Hepburn


Update


・(2018-04-03)追加。

はじめに


・凛々しい眉毛が印象的な昔の女優、 Audrey Hepburn の言葉を紹介する。ついでにその言葉に対するコメントも。


The beauty of a woman is not in a facial mode but the true beauty in a woman is reflected in her soul. It is the caring that she lovingly gives the passion that she shows. The beauty of a woman grows with the passing years.

Audrey Hepburn


ソース


http://www.zerohedge.com/news/2016-05-17/tale-two-beautiful-women

コメント


・人気商売の女優らしく、無難かつ かなり優等生的な発言。思春期以降の全ての女は、現実がこの発言とは正反対なことを熟知している筈。

・いわゆる「女性の内面の美しさ」なるものは、内面には存在しない(存在しえない)…と私は思っている。それは内面ではなく、容姿や姿勢、仕草、態度、言葉づかいなどの形で外面に全て顕れている。

・つまり…。容姿や姿勢、仕草、態度、言葉づかいなどの形で外面に顕れない、外からは見えない「内面の美」など幻想だと。

・なぜ、そう言い切れるのだろうか? それは美の特殊性にある。(美ではなく)善ならば外からは見えない「内面の善」は確実に存在する。善人のふりをした悪人が生涯、誰にもその悪事がバレなかったとしても、外面だけで善とはならない。つまり善は外面よりも、内面に関わる。

・だが、(善と異なり)美は本質的に他者の評価に全面的に依存している。美はその本体や本人が保有している固有の本質ではなく、それを観察している他者の評価の中にのみ存在している。その意味で美はアイドルやタレントの「人気」に似ている。

・具体例で言えば…。ある男が女に一目惚れし、熱愛していたが、やがて熱が冷め、別れたとする。熱愛中はその女が何としても手に入れたい程の美人に見えていた。愛想が尽きた時には、もうそんな美人には見えていない。つまり彼女の美は観察者の視線の中に虚像の如く生じているもの。

(2016-05-18)



(以下、2018-05-03 追加分)

はじめに


・上の記事のコメントと同様の趣旨の諺("Beauty is in the eye of the beholder.")を見かけたので追加しておく。


Beauty is in the eye of the beholder.



...

This saying first appeared in the 3rd century BC in Greek.
...


David Hume's Essays, Moral and Political, 1742, include:
"Beauty in things exists merely in the mind which contemplates them."


ref: https://www.phrases.org.uk/meanings/beauty-is-in-the-eye-of-the-beholder.html


(2018-05-03)

Scott Adams:2年後に気温が低下していれば、この世界は simulation だ。

はじめに


・タイトルの趣旨のどこまで本気なのか、判然としない事を Scott Adams が述べている。

・Scott Adams のこの発言の裏には興味深いものがあるが、説明がダルいし、誰も興味を持たないと思うので略。

抜粋(デタラメ)


・14:30 2年後に気温が下がっていれば、我々は simulation された世界に住んでいる。

動画(31:33)


・Scott Adams teaches you the CNN method for making news with nothing but your face


コメント


・今、これを書いていて、「simulation 仮説」に対する新しい反論の根拠を思い付いた。そもそも simulation 仮説の前提が完全に間違っているのではないか…というもの。

・その前提とは…。この我々の住んでいる世界(=仮説が正しければ simulation された世界)の外側に(simulation ではない)リアルな世界が存在している筈だ…というものだが、これは完全な錯覚ではなかろうか。

・この世界が本当に simulation ならば、「我々にとって」この simulation された世界の外は文字通り、存在しない。なぜなら我々にとって、「存在する」という 言葉が意味を持ちうるのは (or 概念が通用するのは)「この世界の中だけ」だから。

・次のような反論が予想できる。物理法則でも、数学の土台でも、時空間の土台でも、DNA でも何でもいいが、その中にこの世界が simulation であることを示す痕跡や「世界の外からのメッセージ」の類を発見したら、simulation 仮説が立証されるだろう…という反論。

・だが、そのような「痕跡」や「世界の外からのメッセージ」という「外からこの世界に漏れて入り込んだ証拠」というアイデアこそが完全な錯覚だろう。この世界の中に見つかるモノ、事柄はその成分の 100% がこの世界に属するものであり、世界の外の成分を一切含みえない。

・言い換えれば、「我々の住む世界と、外の世界がごくごく僅かにせよ、どこかで地続きになっている(or 共通性を持つ)」と錯覚しているから、「痕跡」や「世界の外からのメッセージ」という発想が生まれる。だが、この世界が simulation ならば、我々の住む世界と、外の世界は地続きではなく完全に隔絶し、共通性も皆無。

・simulation 仮説は、「共通性があるから simulation が成立するのだ」という錯覚を前提にしている。だが、simulation ならば共通性(=地続き性)は皆無となる。

(2018-04-08)

Yuval Noah Harari:人間は仮想的現実(神、人権、法、国家、カネ)を信じ、それに支配されている

抜粋(デタラメ)


・人類は仮想的現実を幾つも産み出してきた。神、人権、法、国家などなど。

・12:50 人類がこぞって信じる仮想的現実はカネだ。神でも人権でも法でも国家でもない。

・13:30 人間は「ふたつの異なった現実」の世界に住んでいる。物理的現実と仮想的現実だ。

・人間は物理的現実の上に第二の仮想的現実を構築した。そして仮想的現実の方が強い影響力を持ち、それに支配されている。

講演動画(17:08)


・Why humans run the world | Yuval Noah Harari


(2017-12-19)

「この世界は simulation だ」説は間違っている (途中:その1)

はじめに


・以下、スキップ推奨。

・「この世界は simulation だ」説が流行っている。大勢の科学者や思想家、著名実業家が本気でそれを主張している。

・だが、「この世界は simulation だ」説は様々な意味で間違っている、と私は思っている。どこがどのように間違っているのか、それを以下で述べる。

・まだ、考えが十分に纏まっておらず、ダラダラとした内容になる筈なのでスキップ推奨。考えが纏まるまで待っていると、いつまで経っても形にならず、いずれ忘れてしまうので自分用のメモとして書き連ねるだけ。

そもそも simulation ではありえない



simution 世界に対比すべき本物世界は存在しえない



simulation という言葉は相応しくない



あるとしたら simulation ではなく創造と呼ぶべき









(2017-12-04)
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