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田川 建三 : 「パウロの創り上げたキリスト教」の本質

引用


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出典


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ref: 田川建三、『新約聖書 3 訳と註 パウロ書簡 その1』、作品社、2007-07-01、69, 450頁

コメント


・「パウロの創り上げたキリスト教」の本質は、

  ・「実在したイエス」を拒絶し、幻想の中で会った「復活したイエス」だけを受け入れるという姿勢にある…これが田川の指摘。

・だが、実在したイエスを選ぶか、幻想のイエスを選ぶかはまだ「パウロの創り上げたキリスト教」の核心ではないと思う。核心は、イエスの死を

  ・神よって騙され、見殺しにされたと見るべきところを、
  ・(神学的手品によって)神による贖いだったと見なしてしまったこと。

 にある。

(2019-01-08)

田川 建三 : パウロの信仰義認のドグマを、パウロ自身が否定している箇所

引用


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出典


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ref: 田川建三、『新約聖書 3 訳と註 パウロ書簡 その1』、作品社、2007-07-01、68, 445頁

コメント


・田川は
  ・パウロの個人的趣向の倫理観を「月並みにちゃちな因習」と酷評し、
  ・パウロの信仰義認を「非常に深い信仰」だと評価している。

・私は
  ・パウロの信仰義認を「ちゃちな信仰」だと見なす。それに比べれば
  ・パウロの偏見に満ちた倫理観の方がまだ「深い信仰」だと考える。

(2019-01-08)

田川 建三 : パウロの信仰義認のドグマが、キリスト教を広く普及させるのに役立った。

引用


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出典


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ref: 田川建三、『新約聖書 3 訳と註 パウロ書簡 その1』、作品社、2007-07-01、68, 444頁

コメント


・田川は、パウロの信仰義認のドグマを「非常に深い信仰」だと評価しているが、私は親鸞にも見られるこの手の信仰の姿勢を全く評価しない。

(2019-01-08)

田川 建三 : パウロの二元論(悪しき神と真の神)

引用


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出典


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ref: 田川建三、『新約聖書 3 訳と註 パウロ書簡 その1』、作品社、2007-07-01、66, 427頁

コメント


・二元論(二つの神)は間違っている。その意味では正統主義の神学は正しい。ただし、存在するのは真の神ではなく、悪しき神。キリスト教徒は無自覚だが、彼らは悪しき神(=人間を謀る神)を信じている。

(2019-01-07)

田川 建三 : 「鏡をもて見るごとく見るところ朧」の意味(鏡だと朧に見える理由) (途中:その1)

はじめに


・押井守の映画『攻殻機動隊 Ghost in the Shell 』で一般にも有名になった新約聖書の一節に、「今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり」というフレーズがある。


13:11
われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずる事も童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり。

13:12
今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり。然れど、かの時には顏を對せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし。

ref: https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%9B%B8(%E6%96%87%E8%AA%9E%E8%A8%B3)


・なぜ、鏡だとおぼろに見えるのか? その理由を、田川建三が解説している。

引用



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出典


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ref: 田川建三、『新約聖書 3 訳と註 パウロ書簡 その1』、作品社、2007-07-01、356頁

参考



埼玉大学の大橋先生の研究室で前漢時代の古代鏡(青銅鏡)を見せてもらいました。はるか2000年以上も前のものに触れられる感動!銅が多く含まれるので、緑青が出ているが、これがまた雰囲気を醸し出してます。

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動画(0:35)


・古代鏡を見せてもらいました





コメント


・この 13章のフレーズは口語訳より文語訳のほうが、やはりサマになる。

・田川も述べているが、この 13章の文章は全然、パウロらしくない。たぶん、パウロ以外の作者の文章だろうと。

・ところで…。私は、

然れど、かの時には顏を對せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、かの時には我が知られたる如く全く知るべし。

 の箇所は儚い夢想だと考えている。つまり、人間には「全く知る」(=完全に知る)ということはありえないと。

・人間はどれほど修行をしようが、神秘体験をしようが、大悟しようが、見神体験をしようが、臨死体験しようが、ET から download しようが、究極の OBE を体験しようが、DMT で異次元を体験しようが、「自己や世界の謎の深奥を極める」ことなどありえない…と。ありうるのは「自己や世界の謎の深奥を極め尽くした」という「中身が空っぽの絶対的確信」だけ。

・たしかに、その絶対的確信には、最高度の充足感、開放感を伴ってはいる。その意味で本人は完全に満たされている。だとしたら何が問題なのか?

・一つ、思考実験をしてみよう。ある時、何かのきっかけで突如として「自己や世界の謎の深奥を極め尽くした」という絶対的確信があなたにもたらされた…とする。当然、最高度の充足感、開放感を伴っている。





(2019-01-05)
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