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勝又 壽良 : 道教は不老長寿を祈願するニセの宗教だ。

一部引用



中国に、経済倫理観は存在しない。これは、中国人に来世への信仰という真の宗教が存在しない結果だ。漢民族に、不老長寿を祈願する道教という「ニセ宗教」は存在する。だが、これは信仰と呼べるものでない。こういう社会ゆえに、経済行動を律する経済倫理は育たなかった。哀しい民族である。倫理観なき民族は、発展するはずがない。行動をセルフコントロールする術がないからだ。

ref: 中国、「世紀の詐欺」ナスダック上場企業、担保の純金83トンは銅に「金メッキ!」 : 勝又壽良のワールドビュー - http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/23496035.html


コメント


・もしも老荘思想を道教に一切含めないとすれば(その仮定は無理だが)、勝又の主張もわからなくはない。道教から老荘思想をごっそりと消去してしまえば、他愛もない仙人神話と無意味な長寿技法というカスしか残らない。

・勝又は「来世への信仰という真の宗教」というが、それも断定が過ぎる。文脈から勝又はキリスト教を真の宗教に含めていると理解できるが、キリスト教は来世への生まれ変わり(=輪廻)を認めていない。死後は最後の審判までの仮の場所として肉体を持たずに天国や地獄に赴く。最後の審判の後にはこの現世の肉体が蘇りその肉体のまま永遠に天国や地獄で過ごすのであって、来世があるのではない。天国や地獄を来世と強引にみなせば、そういう解釈も可能かも知れぬが。

・勝又の言う「来世への信仰という真の宗教」という主張が破綻するのは、(後の歪曲された仏教ではなく)釈尊本人が説いた宗教で、その最終目的は来世を断つ事にある。つまり「来世の拒否と消滅」となっており、それが解脱。

・ついでながら…。問題は釈尊の方法(=来世の存在を大前提とした上で、その消滅を目指す技法)で本当に来世を断てるのか、という点。

(2020-07-04)

神が存在してもこの世界から悪や悲劇が消えない理由 (途中:その1)

前置


・…を思いついた。大した内容ではないが忘れない内に記録しておく。たぶん、誰かが同じようなことを思いついて述べている筈。

背景


Richard Carrier 博士 : 神は存在しない。それは 2300年前に論証されている。 (2018-11-25)

関連


神はどこにいるのか?

神が存在するのならば、神は私に許しを請わねばならない (2013-05-20)

田川建三の「存在しない神」に対する恨みと未練 (2018-08-26)

田川建三:「真のクリスチャンは神を信じない」。なぜなら神は偶像であり、実在しないゆえに。 (途中:その1) (2018-08-10)


メモ:キリスト教における「邪悪な存在」と神 (2012-02-01)
宗教

田川 建三 : イエスが抱えていた人間的ゆがみ、屈折、愚かさ。 私:イエスの最後の言葉はこうあるべきだった。 (2019-07-24)

エピクロスのパラドクス



He is famous also for the Epicurean paradox:

Is god willing to stop evil, but unable? Then he is not omnipotent.
Is he able but not willing? Then he is evil.
Is he willing and able? Then why is there evil?
Is he unable and unwilling? Then why is he god?

ref: https://www.reddit.com/r/philosophy/comments/2hippw/epicurus/


エピクロスのパラドクスはこうすれば解ける








(2020-06-26)

田川 建三:彼岸的救済を真剣に考えた者は他力本願に行き着く。 (途中:その1)

注目箇所



彼岸的救済を何ほどか真剣に考えた者は、嫌でも、他力本願に行き着く。


一部引用



20200608_tagawa_pp218_add.jpg


出典



20200601_book.jpg

田川 建三、『キリスト教思想への招待』、勁草書房、2004-03-01、218頁


コメント


・田川のこの主張は間違っている。もしくは、田川が文章の勢いにまかせてつい筆を滑らせたのだろう。

・なぜなら…。田川の主張どおりなら、釈尊やその直弟子、そして日本で言えば道元、空海、日蓮などは

 ・(a) 彼岸的救済を真剣に考えなかった。or
 ・(b) 他力本願だった。

 ということになる。だれが考えてもあり得ない。

・田川は(パウロと比較されることの多い)親鸞以外の仏教者は眼中になかったのだ…そう弁護することも無理。なぜなら、田川の専門であるイエスについても、


 ・(1) イエスは彼岸的救済を真剣に考えなかった。or
 ・(2) イエスは他力本願だった。

 ということになる。

・単なる言葉の綾としてなら (1) or (2) の主張は可能だろうが、本気で主張するとなると田川自身の著作『イエスという男』の記述にあるイエス像と激しく衝突する。たとえば…







(2020-06-08)

「この世を絶対的に超越した彼岸」は、少しも超越していない。(途中:その1)

前置


・ひとつ前の記事

  田川 建三:彼岸的救済を真剣に考えた者は他力本願に行き着く。 (途中:その1) (2020-06-08)

 のついでに記録しておく。該当する引用部分は同じだが、問題とする重点は「超越的彼岸の救済」に絞る。

・時間がないので論旨展開は後回しとするが、忘れないためにとりあえず論題だけ記録しておく。このタイトルだけで私の予定している論旨展開が読み切れる人も少なくない筈。

・要するに

「(人間の抱く)神(の概念)など所詮、神の偶像でしかなく、本当の神ではありえない」

 という趣旨の話(=田川自身の主張(*1))と同型。同型ではあるが捻れが伴う。

一部引用



20200608_tagawa_pp218_add2.jpg

出典




20200601_book.jpg

田川 建三、『キリスト教思想への招待』、勁草書房、2004-03-01、218頁


コメント








(*1)


・ 下の過去記事を参照。

  田川建三:「真のクリスチャンは神を信じない」。なぜなら神は偶像であり、実在しないゆえに。 (途中:その1) (2018-08-10)

  田川建三の「存在しない神」に対する恨みと未練 (2018-08-26)


(2020-06-08)

田川 建三 : 創世記にある神の複数形は多神教の名残りだ。 (+追加)

履歴


(2020-06-01) 追加
(2019-04-25) 作成

はじめに


・創世記に登場する神の複数形の記述について、私も神学者たちの護教論的解説(下の赤線で囲った部分)を真に受けてきたが、田川がこの護教論的解説をキッパリと批判している。

一部引用



20190425_tagawa6_pp178_ret.jpg

出典


20190424_tagawa_book6.jpg

田川建三、『新約聖書 訳と註 第六巻 公同書簡/ヘブライ書』、作品社、2015-03-20、178頁

(2019-04-25)





(以下、2020-06-01 追加分)

前置


・田川が別の著作でも「神の一人称複数」説は間違いだと述べているので記録しておく。

一部引用



20200601_tagawa_pp76.jpg



20200601_book.jpg

田川 建三、『キリスト教思想への招待』、勁草書房、2004-03-01、76頁


(2020-06-01)
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